2006年02月11日

見えかけてきたもの

やっとブログを更新しようという気になった
演劇について語ることが虚しくて仕方がなくなって書く気が失せた
でも最近絶望した演劇を考えるようになってきた
結局自分が何をしたいのか?という問題だったのかもしれない
私は役者志望でも作家志望でもない
かといって制作志望というのも少し違うようだ
もっと違う何か
私が求めているものはこれといった形がない
周りにいる人は形を提示しろと言ってくる
自分が何者であるかを言うこと
これは相手に自分を理解して貰えるためにも必要なことだとは思う
でも私がやりたいことは制作や役者や演出といった形にはっきり区分できない
どれもやりたいというと大抵の人は怪訝な顔をする
そんなの無理だよって
それならまだわからないと言っておく
でも自分のやりたいことがはっきりしたならそれを言った方がこれからの道のりははっきりする
私がやりたいことは多くの人を楽しませたいということだ
posted by かけP at 10:59| 京都 曇り| Comment(19) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月13日

芸術

最近、芝居を観ていて面白いと思ったことはない。
自分自身が感動に鈍感になっているのかも知れない。
そもそも自分にとっての芝居とは娯楽であって観ていて何かしらの好奇心が駆り立てられないとやはり面白いとは思えないのであります。
私が勝手に敬愛している丸井さんの日誌を読んで「現代芸術は果たして本当に必要なのか」という問いを私なりにも考えてみた。

私の疑問の中で芸術ってなんだろうってのがある。作者がこれは芸術ですって言えば芸術になるものなんだろうか?
最近、三代目魚武濱田成夫「東京住所不定」というエッセーを読んだ。濱田氏が1年間という期限の中で毎月引越しをするという内容だ。これは93年頃にぴあに連載されていたらしい。文中で濱田氏はこれは俺の芸術だと言っている。引越しという芸術なのだそうだ。私のような凡人にはこれが芸術がどうかさえわからない。ただ文中に濱田氏が「世界中のガキども、俺は引越しをしている。お前たちは何か始めたか?お前たちは戦っていますか?」という文章は何かしら刺激になったけどね。
で、芸術なんだけど私が思う芸術ってのは何かしら刺激を与えられるものではないかと思うのです。
もしも刺激にもならない芸術だったら残す必要なんてないでしょう。残したいと思うから残るものだと思う。本当にいいものは芸術を知らない人にも感動を与えると思う。
淘汰されるものは淘汰されゆくものなんだろうし残るものは形を変えてでも残ると思う。大事なのは残したいと思えるものかどうかではないだろうか
そしてこの文章を書いていて不毛だなと思いつつも議論されること議論し続けることが大事ではないだろうか

最近の芝居を観ていると誰のためにやっているのかよくわからない場合が多い。簡単に芝居ができる状況が玉石混合の状況を生み出し観客からしてみれば観劇をしづらい環境を生み出していると思う。
つまり小劇場の芝居はどこに向けられて発信しているのか?ということである。そして小劇場の面白さをわかりやすく提示することができないうちはやはり魅力のない世界なんだろう。
でも芸術っていうのは亡くなってから評価される場合も多いし難しいね。時代にそぐわないだけで評価されないしね。

で、現代芸術についても私にはそれが芸術なのかどうかさえわからない。そしてほとんどの人がそんなもん必要ないと思っているのではないだろうか。そんなんなくても食っていけるし、今までにも名画や名作は残っているわけで現代芸術というジャンルではなくても商業演劇や伝統芸能はあるわけで、ましてや商業演劇はわかりやすくて感動できるわけで、やはり現代芸術がどこに向けて発信されているかわからないのです。
そして作り手にも現代芸術をやってますっていう自覚とか覚悟があるようには思えないので、現代芸術というジャンルの存在自体が曖昧だったりするわけです。
なんだか元も子もない発言になってるけど演劇祭と呼ばれるイベントなんかでもなぜこの団体が選ばれて公演しているのか?ということにしても普通に公演を打つこととどういった違いがあるのか?が曖昧ではないかと思うのです。
なんか否定的な文章だけどもっとうまいやりようがあるのではないかと思うんですけどね。制作って劇団や団体と観客をつなぐ架け橋の部分かなと思ってるんですけど劇団や団体寄りの部分が多いのではないかと思うのです。
必要かどうかは必要だと思います。まだ確立していないものだと思うし、これからどんどん変わっていくものだと思いますから。
posted by かけP at 11:51| 京都 晴れ| Comment(17) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月29日

言葉足らず

そうそう同じように言われたのが「誤解を生みやすい」ということ
それは自分でも自覚症状があります。
答えは言葉が足りない
言葉を知らないとも言う

でもそのおかげで言葉について勉強しようと思えた
かといって急に文章や会話が上手くなるでもなし

あと変に臆病になっている部分もある
怖れずに発言すればまた誤解を招く
するとはっきりしない文章になる
そしてまた誤解が生じる
悪循環

ということで明らかにしていこう
今までは自分のやりたいことが漠然としていたが最近は少しずつわかってきたような気がする
言葉に出すことで活性化することと消えてしまうことの違いがわかってきた
だから現段階のやりたいことを箇条書きで書いてみよう
注釈を入れると現段階のことである
一年後に変わっているかも知れない
それは身勝手で移り気に思われるかも知れないがいろいろと勉強して吸収してこれからのベストが変わったということなので進歩だと言おう
ま、嫌われてもいいや

はい。ではやりたいこと
・プロデューサー
これは制作分野でも企画を立てたい
事務的作業はあまり出来ないのは実感してますので
企画は演出や作家と話してゆっくりと育て上げられるような企画だったり、自分が面白いと思えること。
基本的に観客を大事にしていきたいです。
でもお客さんをかき集めることはあまりしたくない
これは長い目で見るとマイナスになると思うから
あと今興味があるのは劇団運営
これまた長期的な視点で劇団を運営していきたい

・演出
これは面白いと思える作品に出会えないことが多いから。それなら自分でやっちゃおうということ
自分好みの作品を作れる人と一緒にやっていければいいんだけどなかなかいない。
かといって自分の好みの芝居はなかなかお目にかかれない
だったらってことで作っていきたいです

・作家
演劇を始めた理由は作家からだったりする。別に何かを書いていたわけではない。なんとなく作家になりたかったんだろう。というのもその頃の思いは覚えていない。今回書いたものは昔に書いたものを練り直したもの。作家がいればそれに越したことはない

とまあ色々やるけど全てはたくさんのお客さんを喜ばせるため
大変だけど言葉の達人になりたいです
posted by かけP at 00:56| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月27日

やりたいこと

最近トンと御無沙汰
さて今日、ある方に「あなたは何をやりたいのかわからない」「手を広げすぎじゃないの?}と忠告されました。
なるほど、そう見えるのか
確かに制作やって企画やって演出やって作家までやってる
でも自分の中ではやりたいことは決まっている

それは「お客さんを楽しませたい」ということ
制作をやって考えるのはどうすればお客さんが足を運んでくれるのだろう?ということばかり考えていた。で、お客さんが見たくなるようなことを考えようと企画ものを始める。次にぶち当たるのはお客さんが求めているような芝居をする劇団を知らなかった。だから自分で本を書いて演出をする。
お客さんが求めていることのとらえ方は個人差があるだろうが

全ては見てもらう人にいいものを見せたいと思うだけ

だから自分の中ではブレてないのです
posted by かけP at 23:56| 京都 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

絶望と希望

最近ブログに演劇の記事を書いていない。
いろんなことがあっていろいろな心境の変化があって演劇自体をあまり観ていないのもある。
思えば今京都は作りたい演劇が作れる環境だと思います。
大きいのは無料の稽古場が多く理解のある人が多い。
しかしそれは演劇との関わりのある人たちの中での話で依然芝居を観ない人にとっては別世界であります。
別世界、それはそれでいいんです。
私も彫刻家や音楽家や庭師などという知り合いはいませんしどこに行けば会えるのかも知りません
でも芝居は人に観て貰ってナンボだと思います。そう考えると別世界の不特定多数の人に喜んで観てもらうという環境はまだまだないんだなぁと感じる次第です。さらに言うなら不特定多数の人に喜んで観てもらう作品というのもないんだなぁとも感じるのです。
上手とか下手とかということではなく多くの人に喜んでもらいたいというような気持ちの問題でしょう。
芝居は誰のためにするのか?私は同じ京都に住んでいる人にもっと芝居のことを知ってもらいたいと思っています。自分も楽しくて観ている人も楽しかったらそんな嬉しいことはないと考えてきました。しかし今そのバランスが崩れてきているのでしょうか。

なぜ芝居を続けるのか?ここいらでもう一度考え直していこうと思います。
posted by かけP at 18:15| 京都 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月12日

ブレア・ウィッチ・プロジェクト

ビデオで見た
「怖い」とかとは別物だなと思った
企画に興味を持った

この作品はドキュメント方式で撮影されたパニックホラーだと思う
「と思う」というのは世間のジャンルではどうなっているのかわからないからだ

まず女1男2の3人組が魔女がいると言われる森へドキュメントとして潜入する
殺人が起きた場所や魔女の棲家と言われるところを回り途中で遭難するというものだ
その間に「やつら」という得体の知れない何かに襲われる

見終わった後に残る疑問としては本当に起こったことなの?ということ
実際にそういう話があってそれを再現したのか?それともこの映像自体が本物なのか?
その謎はテープに脚本家の名前があったので解決してしまった

正直怖いとは思わなかったの
これはアメリカ人と日本人の霊に対する意識の違いだと思ったのです
アメリカのホラー・スリラーは何かしら具体的な対象がある場合が多い(ジェイソン・チャッキー・フレディなど)
また、いない場合は霊(ゴースト)とは言わずに悪魔という場合が多い(エクソシスト・悪魔の棲む家など)
つまり霊にはいい霊(神)、悪い霊(悪魔)という表現が多いように感じる

しかし日本の場合、悪霊、怨念、呪いなど人間の愛憎などの感情からくるエネルギー体が霊であり直接的(物理的)な怖さよりも間接的(精神的)な怖さがある
そして近年、日本からアメリカへ与えるホラー映画の影響は少なくないと言えよう

そういったことを考えながら見てしまったのだがこのブレア・ウィッチ・プロジェクト(bwp)の企画は面白いと思う
しかし途中での声だったり石だったりテントアタックだったりは過剰演出だと思う
あまりにも直接的でひいてしまった
誰もいないのに…なのか、誰が一体?なのかって大事だと思う
ここの線引きがうまくいってたらこの作品をもっと楽しめたのになぁ
またホラーを見てみたいです
posted by かけP at 01:14| 京都 曇り| Comment(3) | TrackBack(0) | レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月11日

愛しのローズマリー

今日やっと念願の「愛しのローズマリー」を見ることが出来ました
なんかの映画を観た時に予告編で流れていたのです
それを観てずーっと気になってたのです

監督は「メリーに首ったけ」のファレリー兄弟、2002年の作品
出演のグウィネス・パルトロウという女優はアカデミー賞主演女優賞やゴールデングローブ賞などを受賞しています。

物語は若くて美人をものにしろという父親の遺言がトラウマとなり人を外見で判断するようになった青年ハル(ジャック・ブラック)がカウンセラーにより人の内面の美しさが見えるようになる。そして、知的で性格のいい美女ローズマリーと恋に落ちるという物語

この作品では外見と内面ということがテーマとして取り上げられていると思うのですがどうも納得できない部分がありました。「見かけがよくて中身がない」という人がそんなに多いのだろうか?つまり美人は性格が悪いといっているように見えた。
内面の美しさが表面に出たとしてもハルが声をかける基準は美人であることには変わりがないのよね?本人は内面の美しさとは気付いてないもの
また「内面が美しくない人の外見も美しくなく」見えるのだがそうやって登場した人は一人しかいなかった
「美人に見える人」のほとんどは一般的にいうところの「美人ではなかった」り「普通に見える人」との基準とかちょっと気になった(友人マウリシオは醜くならないのか?)

それでも人との接し方や人を判断することについて考えさせられたのは間違いない
本来自分にとっての美人というものがあっていいはずなのにテレビや雑誌で美に対するイメージをドンドン刷り込まれていると思う
今自分は本当に好きな人に好きと言えているのだろうか?
例えば自分の愛する恋人が事故にあって片足を失くすことや今までと違う顔になった時に今までと変わらず愛することができるのか?

まだ観ていない人はぜひ観て貰いたいです
わかりやすい話だと思いますが私はこういう物語が大好きです

幸せの絶頂でローズマリーはハルにこう言った「全てが完璧すぎて何だか怖い。でも失うものが沢山あるってステキなことね」

これからのことを心配するのは当然のことだ。しかし失敗を怖れていては何もできないのだろう
posted by かけP at 04:18| 京都 雨| Comment(5) | TrackBack(0) | レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月05日

フランケンシュタイン

最近寝る前に映画を一本見ている
昨夜見たのはフランケンシュタイン
ケネス・ブラナー監督、出演ロバート・デ・ニーロ94年の作品

作品ですがヴィクター・フランケンシュタインは死を葬るといい死者を蘇生させるべく研究に没頭する。大学に入り師の死をきっかけに師が研究していた蘇生術を試みる。ここに一体の怪物(クリーチャー)が誕生した。この怪物は自分が失敗作であることを知った時にヴィクターに憎しみをもつ。という感じのお話

原作に忠実に作られたという本作は私の抱いているフランケンシュタイン像とは違うものであった(私のイメージは怪物君のフランケンしかないんだけどね)
しかし物語でこの怪物がヴィクターに憎しみを抱く過程が納得できなかった。言いたいことはわかるのだがそのきっかけが余りにも物語のスケールの割には小さいことのように感じられた。心情的にここで憎しみという感情を持つのはわかるのだが描き方としてどないやねん?と納得できなかったのです

他にも弟の死であったり、疲れたと熟睡してしまうジャスティンであったり、怪物自身の行動(待ち合わせ場所の設定や何をしたいのか?)に多くの疑問を抱いた。(観客を怖がらせたいのか泣かせたいのかはたまた笑わせたいのか)
ここの部分の整理がされていればもっとみやすくなったのではないだろうか?

前半の怪物を作り出してからのヴィクターの苦悩であったり怪物の歩みはまだまだみたい部分であり物足りなさを感じた

全体を通してみても感動できそうな作品だっただけに期待はずれだったかなぁ
怪物の縫い目がなぜそこに出来たんだ?とか無駄に甘ったるいラブシーンが鼻についたりとか機械仕掛けっぽいけど無駄な動きじゃんと思ってしまう見方がダメなのかなぁ?

この作品を観た人の感想が聞きたいです
面白かったですか?なんだかんだで私は最後まで観れました
全体的に惜しい!という印象ですけどね
posted by かけP at 16:31| 京都 | Comment(2) | TrackBack(0) | レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月31日

ひさしぶり

ブログに書き込みは久しぶり
特に書くことがなかった
今も特に書き込むことはないんだけど間が空きすぎるので書いてみる

東本願寺から大谷さんが退去することになった
大谷さんといっても別に知り合いではない
うちの母方の宗派である
いろいろとあったらしいが具体的に何があったのかは今日のニュースをみて知った

京大の石垣撤廃で学生が石垣の上を占拠した
でもこの間の早朝通ったら誰もいなかったような?
占拠中でも電気を消して寝るのかな?

ちょっと最近の京都事情を書いてみた
でも皆知っていることだろうな
posted by かけP at 19:07| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月03日

招待券を出す時

先日、とある公演を観に行った時に受付で見た光景

とある人がやってきたらどうぞどうぞと急いで招待券をきっていた

そのとある人は知っている人で市の関係者だ
いや別にこの人がどうこうではない
なぜ招待券をきるのか?
見返りがあるの?
もしもこれで見返りが存在するとしたら賄賂じゃないの?

確かに悪意を持たれるよりも好意を持たれた方がいいに決まっている
いやいや別にどこの団体がどこに招待券を出そうと自由なんですけどね
ただ相手が…
皆やっていることなんですか?

招待券で思い出したのですが貸しホールの場合
ホール側が公演を観る行為ってどうなんだろう?
仕方ないのよね?仕事の一環なのよね?
でもこの間使用したホールではホール主さんが見せてくださいねと一声かけてくれたのがなんだか嬉しくてどうぞどうぞとぜひ観て貰った
やっぱりお金を出して借りているから一声かけてもらえたら嬉しいな

そうそうそれで招待券を発行する基準って皆さんどんな時なんでしょ?
posted by かけP at 02:01| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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